マリア地蔵
奈良井にはマリア地蔵があるという頭も御子も壊されたまま
(塔 2006年8月号)
「あるという」としたのは、実際に見たのではなく、ガイドブックで見たものだからだ。
ガイドブックで歌にしてしまうのは強引あるいは安直だが、それだけインパクトのあることがらだったということでもある。ずっと気になっていたので、休暇期間中に行ってきた。
だから写真は自分で見て撮ってきた写真だ。
このマリア地蔵は大宝寺という寺にある。大宝寺は1582年(天正10年)領主奈良井義高が創建したもので、臨済宗妙心寺派に属する。明暦年中に玉州禅師が中興し、尾張藩の福島代官山村良豊が寺門を修造し、万治元年(1658)現在の本堂を建て寺名を広伝山大宝寺と改めた。
なぜマリア地蔵が寺に?というのが疑問だったが、1932年の夏に、地元の人が藪の中になかば埋もれいるのを掘り出して、この寺に安置したものだ。
石像は首なしになっている。どんな顔が乗っていたのだろう?幼子の膝も壊されている。背中には光背を支えたあともあり台座ありかなり大きなものだったと思われる。子育て地蔵として地蔵堂のような建物を造ってその中に安置していたのではないだろうか。役人に子育て地蔵の正体が聖母子像であることが発覚し、破壊されうち捨てられたのだろう。これを作った人たちはどうなったことだろうか?
首のないマリア地蔵が匿名の人らの信仰をあかししている
禅寺のマリア地蔵が迫害に耐えた勝利を今に伝える
| 固定リンク
コメント