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2016.06.04

まったき

昨日の授業は「ノアの洪水」だったが、
「その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」(創世記6:9)とある。この「無垢な人」について、「神にまったき信頼を置く生き方」と書いたところ、生徒たちから「まったき」がわからないという声が上がった。
彼女らは「まったく」ならわかるのだろう。
「まったく」は通常そのあとに動詞の否定形が続く。「まったく信頼できない」
「まったき」は名詞が続く。「まったき信頼」
 
「我は全能の神なり汝我前に行みて完全かれよ」(文語訳 創世記17:1)
まず「完全かれよ」で「まったかれよ」とは読めないだろうし、「まったかれよ」だったら意味がわからないだろう。私にとってはこのみ言葉はさんざん聞かされた言葉だが、今の子供たちにはわからないだろうと思う。
言葉はこうして移り変わっていく。
讃美歌の歌詞は今の若者にとってはわからない言葉が多い。
古語辞典や古典文法書を開かなければわからないような歌詞はいくら内容が良くても避けるべきだろうと思う。字数を曲に合わせなければならない歌詞の翻訳では、口語訳は表現が長くなり、文語訳よりも難しい。しかしやはり今の人にとって「普通」の言葉にしなければ、自分の歌になっていかないのだと思う。

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