能登の教会訪問
http://agios-ki.spaces.live.com/photos/cns!CE426D45A8DC6B73!1101/
の解説です。
昨年3月に発生した能登半島地震で、能登半島にある七尾教会、輪島教会、羽咋(はくい)教会、富来(とぎ)伝道所、そして富山県の魚津教会が被災しました。
日本基督教団愛知西地区東海地震対策準備委員会は8月4日と5日、能登半島の教会・伝道所を訪問し、1年半近く経った現在の様子を見、牧師たちからお話を伺う機会を得ました。
4日朝9時に名鉄瀬戸線小幡駅に集合し、東名阪-名古屋高速-名神高速を経て、最近全通した東海北陸自動車道を走りました。小矢部砺波ジャンクションで北陸自動車道と能越自動車道に接続しているので、私たちは能越自動車道で氷見まで行きました。氷見からは国道160号線を走り、道の駅いおりで昼食。そして七尾教会には1時半頃に到着しました。
七尾教会(写真01~04)
http://www.incl.ne.jp/nanaoch/
七尾教会の釜土牧師から地震の時の様子、教会員の安否確認と能登半島諸教会の情報発信のこと、幼稚園の子供達のこと、行政とのやりとり、観光地和倉温泉のこと、その他さまざまな事柄をうかがいました。
特に印象的だったのは、
・震度6強は震度4の揺れをもっと大きくしたものではない。全く質が違う。地震だとは思わなかった。
・牧師・園長も被災者だ。 さまざまな報告書の提出を求められるが、パニックになっているので的確な報告はできない。マニュアルの最初に「おちつけ、深呼吸しろ」と書いておくべきだ。
・県の幼稚園の災害対策は専ら金沢で地震が起こった時にどうするかというものだった。それゆえ、能登が震源となるなどとは考えていなかった。事が地震である時がついた時「七尾でこんなにひどいのだから、これで金沢は終わった」と思った。
という言葉でした。
釜土先生のお話に聞き入っているうちに5時近くなり、輪島へ向かいます。ところが私がカメラバッグなどを忘れてきたことに気がつき、Uターン、それでも早いうちに気がついて良かった。
輪島教会(写真11~13)
http://www.incl.ne.jp/wajima-ch/index.html
6時をちょっと過ぎて輪島教会に到着。輪島教会は現在、無牧(牧師がいない)ですが、羽咋教会の内城先生が代務者になっていて、隠退牧師の大隅先生が日曜日の礼拝と、週日の聖書研究会・祈祷会を担当しておられます。わかりやすく言うと、宗教儀式はなさるけど、教会の管理運営にはノータッチ、そうした部分は代務者の内城先生が担当しています。
大隅先生は長い間金沢の教会の牧師をしておられ、北陸の教会のことは大変詳しいので、救援に招かれたのです。
輪島教会の建物は1960年に礼拝堂・牧師館とも建て直したとのこと。50年代後半に4回も水害に遭ったのだそうです。
礼拝堂の窓が開きません。全部開かないわけではないのかもしれませんが、開けないでくださいという注意書きのある窓、注意書きはないけど開かない窓…。
あちこちに亀裂が入っていました。
今回の旅の最後に、金沢の若草教会を訪問しました。それは勇牧師が、地震があった時の輪島教会の牧師だったからです。
地震の時、教会の2階では教会学校のクラスが行われていました。
勇先生の長男は当時2歳でしたが、地震の記憶が残っていて、今でも輪島教会の2階に上ると「この2階、壊れない?」と聞くそうです。
地震からしばらくの間は親と一緒でなければ2階に上れない子供達が多かったそうです。
牧師館は壁と床の間にすき間ができて、外が見える状態。礼拝堂と一緒に建てたはずですが、明らかに牧師館の方が痛みがひどいと感じられます。
7時頃、大隅先生に連れられて夕食に。
隣に寿司屋があるのですがあいにく月曜定休。
そこで能登牛のレストランへ。
肉のおいしさもさることながら、普通なら割り箸が出るところ、輪島塗の箸です。持ち帰っていいのだそうです。
宿は教会から200mほどのところ。さきほどのレストランは教会と宿の中間にあり、朝市のある通りです。
宿について少ししてから、輪島の町探訪
部屋に置いてあったガイドマップにお店や観光スポットが出ています。中でも重蔵神社の東側は詳細図が別にあります。
「ここがいちばんの繁華街に違いない」と結論づけて行ってみました。だいたい神社仏閣の裏には繁華街があるものです。
客待ちのタクシーが何台も停まっていますから、きっとそうなのですが、歌舞伎町は別格としても、日頃錦三を見慣れている私たちの目から見ると「えっ」という感じでした。
飲み屋を目指して通りを歩いている人がいないのです。飲み屋から出てきて家路へ、あるいは次の店へと歩いている人もいないのです。
タクシーは(私が見ていた範囲では)じっと停まっているのみでした。
その周辺をかなり歩いての結論:
1 そもそも人口が少ないのだ。名古屋のように周辺の地域から流入してくる人がいない。多くは輪島に住んで輪島で仕事をしているに違いない。
2 どの店へ行こうかと歩き回る人はほとんどいないと思われる。それぞれの店が常連客を持っていて、あるいはそれぞれの客は自分の行く店を決めていて、さっさとそこへ入ってしまう。
それゆえに通りを歩いている人がいないのだ。
居酒屋という看板を掲げている店で、スナック風のドアを持った店が幾つかありました。たぶん、最初はスナックとしてオープンしたものの、結局居酒屋になったのだと思われます。昔、♪小さなスナック という歌があったような気がします。
入ったのは歩いた範囲の中では、いちばん大きそうな店。
昔風の居酒屋だと同僚が評していました。私は飲む店に行くということがほとんどないのでわからないのです。
この店のおもしろいのは、壁一面に落書きがいっぱいあることです。世界遺産じゃないので構わないのでしょうか。
中には、「高い、まずい!」とか「店選びを間違えた」などというのもありますが、そのまま放置されています。
能登ワインの赤と白、飲んでみましたが、私にはちょっと甘すぎました。
朝市 (写真14~18)
翌朝は8時に輪島教会に行き、大隅先生と共に朝市へ。赤い鉄橋が通行止めになっていました。地震で危険な状態なのだそうです。
補修工事が行われていました。
一通り端まで歩いて「先に朝食にしよう」とのことで、喫茶店へ。
ここの奥さんが教会のメンバーとのこと。
テキパキとした感じの良い女性でした。彼女は「まだ勇先生の送別会をしていないので、終わった気がしません」とのことでした。
勇牧師の輪島での最後の日曜日の朝、地震が発生した。礼拝は中止。午後に予定していた送別会も中止。
しかし、夕拝には信徒たちが集まってきたのでした。
モーニングセットをいただいて、朝市に戻るとすっかり賑わっています。
夕べの閑散とした町の様子は何だったのだろう?
地元の人も観光客も外国からの客もいます。
欧米人女性2人組が立ち止まっているお店、お煎餅屋さんだが、この方も教会のメンバー。
朝市を見終わって大隅先生に別れを告げて、富来伝道所へ向かいます。
ヤセの断崖・義経の舟隠し(写真21~27)
国道249号線を走っていくとやがて門前町。いちばん被害の大きかったところです。丹念に見るいとまはありませんが、門前町では国道がきれいに舗装されていました。
ということは、かなり傷んでいたということを物語っているのでしょう。
「門前町」とは曹洞宗大本山総持寺祖院の門前町だということを初めて知りました。元々の総持寺はここにありましたが、明治時代に火災があり、それを機に横浜の鶴見に移転したとのこと。それでここは「祖院」となったというわけです。曹洞宗にはもう一つ永平寺という大本山がありますが、明治の移転までは両方とも北陸にあったということです。
9時半頃、内城牧師から電話が入りました。「現在地総持寺祖院あたり」と告げると「それじゃもうすぐ着いちゃいますよ」。約束は富来伝道所に11時だから1時間半あります。
国道は日本海に突き当たり、海岸線を走ります。「道の駅赤神」で休憩。ここで観光案内板を見て時間のつぶし方を考えました。「ヤセの断崖」という景勝地があります。ここへ行くことにしました。
カーナビにヤセの断崖をセット、更に富来伝道所を入れるのですが「とぎでんどうしょ」ではヒットせず。そこで住所から攻めます。ところがなぜか、「石川県富来町」がない! こんどは富来あたりの市街図を見ようとしたのですが、検索で富来町が出てこないくらいなので、地図上でも出てきません。そこで車に積んである中部地方の道路地図(書籍)と地形で見比べて、富来の場所を割り出し、そのあたりの市街図(一軒一軒の建物が判別できる縮尺の地図)を出して大きな建物をクリックし、その建物のテナント情報を見ると住所が出ているのです。
こうして少しずつ富来伝道所の番地に近づいていき、ついにある建物をクリックしたら『日本キリスト教団富来伝道所』と書いてありました。
ヤセの断崖から富来伝道所への道は、ナビの指示は一度戻って国道で行けというものでしたが、戻らずに県道を行き、途中からショートカットして富来に入ることにしました。
さて、ヤセの断崖という標識の場所に来ました。駐車場も飲み物の自動販売機もあります。車を置いて海岸線に出ます。自殺の名所と言われていたので断崖絶壁を想像してきましたが、何の迫力もない場所でした。説明看板によれば、去年の地震によって先端部分約150立方メートルが崩落したとのこと。それで「断崖」がなくなってしまったのでしょう。
義経の舟隠しの方は、そこそこ迫力がありました。
このあたりにはヒルガオ、ワラビ、クズといった植物が目立ちました。
県道をショートカットすると、風力発電の風車がいくつか目に入ってきました。写真27は走行中に撮ったものです。フレーミングも何もできません。ただカメラをいい加減に持ってシャッターを切っただけですが、意外に真っ直ぐ撮れていました。
富来伝道所(写真31~37)
http://web2.incl.ne.jp/hakuich/togi.htm
富来伝道所に着いたのは10:50。地震によって傾いて、隣家に倒れかかる危険があったため、昨年12月に取り壊し、現在は更地になっています。
きれいな花が咲いていました。この付近にはこうした更地がたくさんあります。また、検査済証の貼ってある家もたくさんあります。
これらの家の中には再建できずに放棄されたものもあることでしょう。釜土先生から聞いたところでは、能登半島は元々過疎化し、若い者のいないところになっていたが、地震の結果、一人暮らしの老人がいなくなった。つまり、大金をかけて壊れた家を再建・修理してもこの先何年も生きられるわけではないから、再建・修理を諦めて、金沢などに住んでいるこどもたちのところへ移るのです。
こうして空き地が目立っています。これは輪島もそうでした。輪島は元々海と山に挟まれた狭い土地に密集しているところです。駐車場が少ないそうです。ところが今はちょうど良い具合に点々と駐車場があります。地震後取り壊して再建を諦めた土地です。
約束の11時に内城牧師が到着しました。いよいよ来週以降建築が始まるとのことです。ただし前の建物よりも小さくなるとのこと。
残念至極です。すぐ近くに海水浴場があるというロケーションを生かして、教区のキャンプ場にするなどの知恵が働かなかったのだろうか。災いを益となすことを考えればいいのに。
近鉄は数々の私鉄を吸収合併して大きくなった会社だから、いろいろな規格が併存していました。最大の規格の違いは線路の幅。そのため、名古屋から大阪への直通はできなかったのです。しかし、伊勢湾台風で名古屋線が大被害を受けた時に、大阪方面と同じ線路幅に変更したのです。それによって名阪直通が可能になりました。
そのような知恵を働かせることは必要なことだろうと思います。
仮礼拝堂を見せていただきました。写真は縦位置と横位置の2枚の写真を合成したもので、左上が欠けています。
カワイのリードオルガンがありました。修理したとのことで、きれいな音が出ていました。
羽咋教会(写真41と42)
http://web2.incl.ne.jp/hakuich/index.html
内城先生の後をついて羽咋教会へ。
この建物は学校法人羽咋白百合幼稚園の園舎として建てられ、教会は間借りする形になっています。幼稚園は近くの別な場所に移転し、ここでは学校法人が学童保育を行っています。
元々は教会の建物があり、そこで幼児教育が始まったわけです。
幼稚園を学校法人化した時か、あるいは1974年に建物を建て替えた時か、そのような時に、教会の建物を持たないことにしたのでしょう。
日曜の礼拝は2階のホールで行われます。牧師が落ち着いて牧師の仕事をできる場所は狭い牧師室だけ、と私は感じました。
私の経験から言うと専用の礼拝堂は幼稚園教育のためにも必要だろうと思います。
内城先生は、ここで羽咋教会の牧師とたぶん学童保育にも関わっていらっしゃるのでしょう(幼稚園は釜土先生が園長になっています)。日曜の夕方は富来伝道所の礼拝。そして週一日は金沢の北陸学院で聖書を教え、さらに現在は輪島教会の代務者も務めていて大忙しです。
牧師館が歩いて5分ほどのところにあるのは幸いかもしれません。
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