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2017/03/30ヤコブの手紙1:19~24

1:19 わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
1:20 人の怒りは神の義を実現しないからです。
1:21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
1:22 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
1:23 御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
1:24 鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
1:25 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
1:26 自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。
1:27 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。

 小学校の5年と6年の2年間、担任が同じ先生だった。児童の指導に熱心な先生だったが、組合の活動にも熱心だった。この先生が常々教えてくれたのは、「怒り」が重要だということだった。友達関係のことではない。社会や政治に対する怒りである。
 「怒り」をエネルギー源とする運動はかなり多くあるような気がする。社会の事柄に対しても、また教会の事柄にしても。
 特に、典礼という教会の中心的な営みについての議論が「怒り」を同期としてなされているのではないかとさえ感じることがある。
「聞く」のは早い方が良い。誰よりも早く情報を早くキャッチしなさいという。
けれどもキャッチした情報を熟慮せず、生半可な判断で「話す」ことは慎め。
ましてや聞いたばかりの情報で「怒り」を生じてはいけない。
もちろん聞いた情報が正しくないこともある。ガセネタをもとに人を非難するなんて最悪だ。
でもガセでなければ怒っていいのかというと、それもダメだ。「人の怒りは神の義を実現しない」から、神の栄光を現すこともできない。
怒ったり、悪口を言ったりせずに「御言葉を行う人」になる。可能か?
マザー・テレサはついにはノーベル賞をもらうようになったけども、その活動は困難な中で黙々となされてきたものだった。
そういえば、ウェスレーの活動もそうだった。今では英国教会で「聖人」扱いだそうだけど、メソジストをさんざん中傷誹謗したのも英国教会だった。それでも終生英国教会人として伝道と人々の救済に励み続けたのだった。
 

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