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2015年11月1日

前奏
招詞  マルコ1章15節
賛美  小羊をばほめたたうる(讃美歌164)
祈祷
交読 詩編51篇3~11節
賛美 昔主イェスの(讃美歌234A)
朗読 ローマ7章7~13節
牧会祈祷
説教  「掟が死に導く」
賛美 ふかきみむねを(讃美歌507)
信仰告白 使徒信条
主の晩餐
 献金 互いに愛し合い(教会福音讃美歌362)
 主の食卓への招き
 感謝
 聖別祷、
 制定語
 主の祈り
 配餐
 感謝
 賛美 まごころもて(教会福音讃美歌260)
頌栄  みめぐみあふるる(讃美歌540)
祝祷
後奏


【今週のみ言葉】

「罪がその正体を現すために、善いもの(律法)を通してわたしに死をもたらしたのです。」 (ローマ7:13)
【命の言葉】
 律法は神がイスラエルに与えた聖なる掟です。クリスチャンは「十戒」だけにしか目が行かない傾向にありますが、十戒はいわば憲法にあたるものです。十戒によって生きる人は申命記までの全ての律法を守る必要があります。
 パウロはイエス・キリストを信じる前は熱心なファリサイ派でした。その熱心さの故にイエスをキリストと信じる人々を迫害したほどでした。その彼が「わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました」というのはおかしい、これはパウロ自身のことではないはずだ、という人がいます。しかし、律法を守ることに熱心であったけれども律法の本当の意味を知らなかったということなのでしょう。律法を本気で守ろうとすれば、守れない自分を見出し、罪の深さを知らざるを得ない。「自分は律法をきちんと守っている」と胸を張って言える人は、実は律法をわかっていないから胸を張れるのです。
 自然的人間は誰しも欲望を持っています。自分の欲望を満たすためには他者と競い、他者を打ち負かそうとします。掟がなければそれは「当然のこと」であり、「罪」とは思いません。
 しかし、掟は欲望に規制をかけ、ある一線を越えるものを罪と定めます。律法が掟としての本質を発揮すると、自己を内省し、罪にがんじがらめにとらわれている自己を発見せざるを得ないのです。つまり、律法は救いようのない自己を指し示すものに他ならず、人を救うものではありません。
救いは律法ではなく、イエス・キリストの十字架と復活に示された神の愛にあります。

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