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2015年10月28日ローマ2:1~16

ローマの信徒への手紙2:1~16
2:6 神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
2:7 すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、
2:8 反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。
2:9 すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、
2:10 すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。
2:11 神は人を分け隔てなさいません。
2:12 律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。
2:13 律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
2:14 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
2:15 こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。

 こういう文章を読むと、次のような質問が必ず出てくる。

クリスチャンでない人でも素晴らしい人がたくさんいる。
そういう人はキリストを信じなくても天国へ行けるのか?
その質問自体には、ここでは回答しないが、この聖句の読み方を説明しておいた方が良いと思う。
聖使徒パウロがここで述べているのは、律法を持つユダヤ人と律法を持たない異邦人の事を言っているのであって、イエス・キリストを信じる人とイエス・キリストを信じない人について述べているのではない。
ここでは、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間の問題を書いていると言ってよいだろう。何しろ手紙の宛先はローマにあるユダヤ教の会堂宛ではなく、ローマにあるキリスト教の教会宛なのだ。この頃はまだ「キリスト教」は成立していなかったとしても、パウロが手紙を送ったのはイエス・キリストを信じる人々に対して向けたものだ。
もう一つ、「善き業」について。
プロテスタントではしばしば「どんな善い業によっても救われない。ただ信仰のみによって救われる」と言われる。それは本当だろうか?
2:10 すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。
2:13 律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
2:14 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
これらの言葉は信仰が心の中で完結するのではなく、行為に及びものであることを示している。行為に及ばない信仰はありえない。
心と体を分離するのはグノーシスである。彼らはある主の信仰(知識)を持っていれば救われるとして、肉体によってなされる行為は問題にしなかった。そこで不品行がはびこる基となった

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